この目に映る一切の情景 10
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大人たちは昔の、戦争が続いていた時代のことを話したがらない。体系立った歴史は教えても、その時、個人的にはどうだったかと言うことになると、全く耳には入ってこなくなる。
年長の血縁者がいれば聞く機会もあるかもしれないが、ナルトにはそれが無かったし、逆にナルト個人に対して三代目が敷いた緘口令は、凄まじく厳しいものだった。
時代が移っても、五代目が三代目のやり方を引き継いだように、子供には聞かせたくない昔の、凄惨な話、闇から闇へと葬られる事実、語られることのない歴史の多くは、若い世代には伝わらないまま真綿にくるみ込まれて隠される。
だけど、ナルトにも分かっていることがある。カカシの過去で、一つだけ確かなこと。
自分がカカシを慕うように。尊敬して憧れて、いつも一歩でも近づきたいと想い、願っているように。
カカシがおそらく慕っていたであろう、その人は。
ある日突然里を襲った災厄と共に命を落とした。
(オレが生まれたのと引き換えに)
それは常にナルトとカカシを阻む、高くて厚い壁だった。
誰より近くにいるはずなのに、その心の内を垣間見る機会はなかなか無い。まだそこまで許されてはいないのだ、と感じることは度々あった。距離というより隔たり。教え子という立ち位置からでは踏み込めない領域。それはナルトを俯かせる寂しさだった。
日々の感謝や敬慕以上のこの想いを、言葉にも形にも出来ずに傍らで過ごし続けるのは、結構キツい。
(でも先生は、いっつもオレのことを一番に考えてくれていて)
(今だってこんなに優しい)
こうして熱病にでも罹ってみなければ知りようもなかった、ナルトには想像も付かないような細かいところまで、様々な方法で、カカシはナルトを大事にする。
こういうのは、慈しまれるって言うんだ。知ってる。もしかしたら、オレってば、すごくすごく愛されてるんじゃねーの? そう勘違いしてしまうほどに。
昨日の夜の指先へのキスだけでも大事件だったのに、頬への口付けは、ナルトを舞い上がらせるには充分だった。
(オレ、先生が好きだ)
胸が苦しくなる。肺の奥から胃にかけてギリギリと痛みが走る。つくづく、自分の惚れっぽさには頭を抱えてしまう。でも、本当の気持ちだ。溢れてくる心は、自力ではどうしようもない。
(さっきの、あれは)
あれは現実だったのだろうか。重ねられた唇。そして流し込まれる水。それとも、熱が見せた幻覚? ただの夢?
でも、触れた名残は、この唇に確かに残っている。神経が感じ取っていた確かな感覚。
(夢じゃなかった)
自分がスプーンを拒否したのは覚えていた。具合が悪くて、金属や樹脂の感触が煩わしく、何もしたくなくて、苦しくて、身体が他人に構われることを勝手に嫌がって、ただ拒んだ。
だが、押しつけられるものが、その柔らかい肉の感触が誰の唇なのかを知覚してからは、振りほどくのはやめた。
口移しで流し込まれれば素直に嚥下する。与えられ、自分に口があることを思い出し、水の存在を思い出し、生きなければならないことを思い出す。
もがきながら水分を補給した。充分に摂取出来れば苦しさは軽減し、少しずつ楽になってゆく。
そして、落ち着きを取り戻しても尚も触れ続ける唇は、水以外のものをナルトに与え続ける。
それはナルトがずっと欲しいと思っていたものだ。
昔、どんなに努力し続けても、自分はいつまでたっても誰からも貰えず誰にも与えられないのかと、何度も諦めそうになって、でも、どうしても諦められなかった、そういうものだ。ナルトはそのために必死に頑張ってきた。
(先生も、オレのこと好きなの?)
そうじゃなかったら、口付けなんてしない。水を飲ませ終わった後まで、こんなに優しく、何度も、触れ合わせてくるのは。
(どう考えたってキスだろ)
(どうしてこんなことするのかなんて、聞かなくても、分かる)
「参った……」
ラグの上で胡坐をかいて、もう本当に参った、と嘆きながらカカシはがっくりと肩を落とす。
(一体何をやっているんだ、オレは)
眉根を寄せ、苦しそうに眠るナルトだったが、口を開けることすら拒むようになったので、あんまり嫌がると口移しで飲ませるよ、知らないよ、と脅すように試してみたら、これが。
……飲む。
はー、と重いため息を吐いた。
(完全に寝込みを襲っていることに……、なるな。間違いなく)
巧妙な策略か何かに引っかかった気分だ。うらめしくも、この子はわざとそうしているんじゃないか、とすら思う。だがこれは、まぎれもなくカカシの勝手でやっていることだ。
「ごめんな、ナルト。お前、こんなに苦しんでて辛いのに、先生は……なーんか、いい思いしちゃってるねー……」
ははは、と力なく笑い、再び深く吐息した。
ナルトは昏々と眠っている。眠りが浅くなると辛そうに呼吸を速めることもあるが、自力で寝返りを打てるようになった。
体温は上下を繰り返していたが、悪化はしてない。
もう一晩、このまま様子を見ようと決めたところだ。
(時間は掛かるかもしれないが、待つしかないな)
しかし、熱を冷ますための発汗は必要だ。肩から首筋を支え、気道に水が行かないよう調節しながら注意深く滲みこませる。
そうするたびに、目を覚まさないかなと思って、唇を離したくなくて、少し長めに口付けてみたりしては自己嫌悪に沈んだ。その繰り返し。我ながら、頭を抱えたくなるほど馬鹿だ。
自分にこんな一面があるとは、今日の今日まで知らなかった。