この目に映る一切の情景 4

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 サクラは医療従事者として、流行り始めの時期にワクチンを接種している。その後も連日患者と接触しているが、発症しないところをみると彼女には効き目があったのだろう。
 綱手が何を根拠にナルトを予防接種の対象からはずしたのは、何となくわかる気がした。
 怪我に対しては上手く働く回復力が、強い毒性を示す菌にどう反応するのか、全く予想がつかない。例えば、高熱で意識不明が続くような事になったら。毒素が血管やリンパに入り込み、悪影響が経絡にまで及んだら。ナルトの場合は、不測の事態が起これば規模が違う。それはあくまでも、もしもの憶測だが。
(こんな時に限って、先生も隊長も里にいないなんて)
 急な任務で、先行した小隊の援護だとは言っていたが、いつ戻るのかはわからない。
 現在の上忍たちの任務は、おそらく、製薬会社の内部抗争の絡みだろう。収益の配分や研究チーム内での地位を巡って、殺しまで起こったという噂だ。
 世の事件の陰には諜報工作や侵奪警務を担う忍の暗闘がある。大きいヤマほど木ノ葉に依頼が来る傾向があるから、里の主力が今何をやっているかは、本人たちが口外することはなくても新聞を読んでいれば何となく見当はついた。
 カカシがそこに加わっているかどうかは知らないが。
(悪い時に悪い事って重なるものだし。都合良く帰ってきてくれるなんてことは……ないわね)
 病院の待合室は、見たことがないほど混み合っていた。サクラは診察所の一角を借りて寝台にナルトを座らせ、薬局で入手した検査薬で診察を始めた。
「はい、口開いてー」
 喉奥まで綿棒を突っ込む。
「はがが」
「声は出さなくていい」
「……んなこと言ったってよ」
 いきなりびっくりするってばよ、とナルトは拗ねてそっぽを向く。
 サクラが使っている検査薬は、ナルトも知っていた。ワクチンや治療薬と共に何百人分と運んだからだ。自分が使うことになるとは考えもしなかったが。
 採取した唾液とチューブに小分けされた薬液を混ぜ、プレートにセットされた試薬紙に落とす。
 試験紙は、たちまち鮮やかな緑色に染まった。
「この検査薬の精度は九十パーセントって言われてるけど、見える? この反応の良さじゃ、間違いなく陽性よ」
「……はー、マジかー……」
 ナルトはがっくりと肩を落とした。
 先程、待合室で熱を測った時、体温計はすでに三十七度以上を叩き出していた。間もなく三十八度へ到達してしまうだろう。
 その数字を実際に目にした途端、急に全身の力が抜けてしまったナルトだ。
「綱手様に診てもらって、体質に合った薬を調合してもらうことになるわね。準備してくる」
 待ってて、と廊下へ出て行き掛けたサクラだったが、その行く手を塞ぐ形で人影が現れた。
「おー、ここに居たか」
「カカシ先生!」
 サクラの声は驚きに跳ね上がる。
「戻ってたんですか? いつ?」
「今だよ、ホントについさっき。五代目のとこに行ったら、ナルトの話になってな。もう驚いて……二人でここにいるって言うから、先生走って来ちゃったよ」
「よかったぁ」
「で、診断は?」
「ばっちり陽性です」
「だろうな。じゃ、サクラはこのまま五代目に報告ね。コイツはオレの家に連れて帰ることになったから」
「本当?」
 サクラは安堵に声を弾ませた。
「ああ、何か食わせた方がいいだろ。診察もそっちでやるから、サクラは戻ってこいって、コレは五代目からお前への伝言」
「助かったー」
 胸に手を当て盛大に息を吐く。
「ここのベッドにも空きがないし、どうしようかと思って」
 この熱病は、余程の重症でない限り自宅療養が原則だ。病院は基礎疾患保持者や体力のない老人や女性、子供たちを収容するだけで一杯の状態が続いていた。ナルトも自分の世話は自分で出来ると言うだろう。
 しかし、重い症状が出ることが分かっている病人を、独り暮らしの自宅へ帰すのはかなり気が引ける。そして、サクラのそういう心配を、ナルトは常に笑顔で躱すと決まっていた。彼女には綱手の裁量を待つしか手がなかったのだ。
「大丈夫。ナルトが治るまではオレも休みってことで、話もつけた。心配しなくていいよ」
「ありがとう先生」
 カカシはいつもこうやって簡単に、あっという間に、サクラを安心させてしまう。なにかの術か、と、その度に思う。
「先生はこの病気、平気なんですか?」
「ああ、オレは早めに予防接種受けたからな。左眼にも影響なかったし、時々ここに出入りして患者に接する機会もあるが、何ともない」
「なら安心ですね。私、戻ります」
「頼む」
「ナルト、先生の言うこと聞いて、しっかり休むのよ」
 廊下へ出ていくサクラを見送ってから、カカシは屈み込んでナルトの様子を伺った。
「大丈夫か、ナルト」
「……カカシ先生……」
 呼ぶ声は、弱く小さくなる。
 二人がいつもの調子で、まるで当然のことのように交わした遣り取りには、自分がどんなに大事にされているかが滲み出ていて、慣れない状況に弱気になっている時にそんなものを目の前で見せられれば、ナルトはもう声を詰まらせるしかない。
「まさか、おまえがやられるとはねぇ」
 でも、顔見たら安心したよ、と、肩の力を抜いて息を吐く。走ってきた、と言うのはカカシの正直な気持ちだったのだろう。彼は手を伸ばし、ナルトの額に指を当てた。
「熱いな。何度だった?」
 添えられた手はひんやりと冷たく、気持ち良かった。
「三十七度六分」
「まだまだ上がるだろうな……歩けるか?」
「大丈夫だってばよ」
「いや、無理しない方がいいか。先生の背中に乗んなさい」
「え」
 今更ではあるのだが、それは街の中では恥ずかしい気がする。大丈夫だって言ってんのに、と言い返しかけたが。
「遠慮しちゃだーめ」
 にっこりと微笑まれながらぴしゃりと言われれば、渋々従うしかなかった。









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