この目に映る一切の情景 7

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 気分は最悪だった。息が苦しくて、頭と体中の関節がズキズキと痛む。それは熱を持つ全身の拍動に呼応して、刻むように際限なく続いた。辛さを訴えようにも、何も言葉にならない。
 発熱は、身体に侵入してきた病原菌を駆逐するための、人体の基礎的な防御機構の一環だ。が、暑がったら冷まし、寒がったら温めて、出来るだけ楽にさせることが病状を悪化させないコツ、という里長の指示を、カカシは忠実に守っているようだった。
 ナルトが苦しくなって、どうにもできないでいても、カカシの手が伸びてきて、なにくれと世話を焼いてくれる。脇の下にタオルで包んだ保冷剤を押し当てられたり、水を飲まされたり。
 その度に少しは楽になるような気がするのだが、すぐに苦しさはぶり返してくる。少しでも身動きしようものならば、世界はぐらぐらと揺れ、ぐるぐると回転した。
(なんだ、コレ。冗談じゃねーぞ。辛すぎるってばよ)
 そんな言葉しか頭に浮かんでこない。そればかりを何度も何度も考える。時間の経過もわからなくなっていた。と言うより、もう何も分からない。わけがわからない。目も見えない。
 綱手が心配ないと言ってはいたが、ナルトにとっては予想外の大ダメージだ。
 辛いことには慣れていたはずだ。死んだ方がマシだと思うような、苦しいことだって、今まで何度もあった。
(こんな、ただの流行りの熱病なんかに)



 唐突に記憶が甦る。
 あれは納品先の。すれ違いざまに見た、一瞬の光景。
 旱魃が酷い地域の貧しい村だった。ナルトたちは、その村に駐留する医師団の部隊長へ荷を渡すために、案内されるまま医療現場である建物内を通り抜けていた。 
 感染症の犠牲者には子供が多い。痩せた手足の小さな子ばかりが寝かせられていた。
 自分が運んだあの薬で、あの子たちは、助かったのだろうか。
 それぞれの寝台の傍らには、家族と思われる大人たちの姿があったが、ナルトの目に留まるのはそういう子ではない。
 一人きり、横になって動かない、弱り果てた細い手足と、青白い顔。
(あの子には、親が付き添ってなかった。見回りの看護師さんも……)
 とても他人事とは思えない光景。瞼の裏に焼き付いたその映像は、思い出してしまえば脳裏を占拠する。それは、アカデミーに上がる前の記憶を、ナルトの中にある真っ暗な闇の記憶を、無理矢理に引きずり出そうとする。
(嫌だ)
 このまま眠り続ければ、必ず悪夢に襲われるだろうことを、ナルトは経験上知っていた。
(やばい、起きたい……!)
 身体を動かしたくても、まるで鉛を乗せられたように重くて動かない。何とか声だけでも出してこの金縛りのような状態から脱出しようと必死に叫ぼうとするが、簡単には思い通りにはならなかった。
 しかし、ナルトは今、一人ではない。あの頃とは違う。諦めずに動かぬ身体でじたばたと足掻く。
(今のオレにはカカシ先生がいる)
(先生……っ!)



 もがき苦しむ気配と、唐突に漏れ始めた呻き声に、カカシははっと身を起こした。
 ベッド脇にもうひとつの寝床を作り、定期的にナルトの様子を見つつ休んでいたカカシだったが。
(うなされてる)
「ナルト」
 眉根を寄せて苦しがっている。その額に指を伸ばした。
 肌は燃えるように熱く、さらりとした水気に指が滑って、発汗が始まっていることをカカシに知らせた。
(起こすか)
「ナルト、起きろ」
 呼び掛けながら、頬を軽く叩く。
「……ぅ」
 息を乱してもがき続けるので、額から首筋の汗を拭いながら軽く揺さぶった。根気良く呼び掛け続け、頬を小刻みに叩く。
 瞼が薄く開き、青い色が僅かに見え隠れした。何度か瞬きを繰り返し、やがてはっきりと瞳をのぞかせる。肩で大きく呼吸しながら、咳き込んで身体を折り曲げた。
「はぁ……っ。は、ぁ、センセ……ッ」
 だが、喉から飛び出た声は、ひどく掠れて弱々しい。縋ってくる手を咄嗟に握りしめた。
「うなされてたから、起こしたよ」
「……」
「怖い夢でも見たか」
 覗き込みながら、顔の周りの大量の汗を手拭いでふいてやる。ナルトは再び辛そうに目を閉じた。
「た、たすかっ……た、てばよ……。すげ……こわくて」
 息も絶え絶え、という様子で素直に恐怖を訴える。滅多に目にすることのない様子に、カカシは眉根を寄せた。
「どんな夢だった……?」
「か、かべ」
「カベ?」
「真っ暗闇で、寝てると、周りの……壁が。膨らんで、迫ってきて、……押しつぶされんの」
「それは」
 なかなか怖そうだ。
「あんなゆめ、今まで、みたことないってばよ……」
 そんでね、ずっと、ずーっと、すげぇ押しつぶされんの、とナルトは呟く。相当参っているようだ。
「大丈夫、もう怖くないよ。それよりも、すごい汗だ」
 頭蓋を包むように持ち上げ、髪の中やうなじまで丁寧に水分を拭き取る。少しでも快適にして安心させてやりたかった。
「だ、だいじょーぶじゃ、ねってばよ先生……もうだめ、すっげーくるしい……なにこれ……」
 ナルトは回らない口で降参を訴える。どうやら今のこの状態は、彼にとっては相当な衝撃のようで、いつになく弱気だ。
「お前、怪我には慣れ過ぎてるくらいなのに、病気にはホント弱いな。五代目も仰ってたが、高熱が出れば誰だってこんなもんだ。いつも見ないような悪夢にうなされるのも無理はない。辛いだろ」
「あたまいたい……ぐらぐらする……目が良く見えねぇ……」
「うんうん、でも治るから。あと二、三日はかかるかもしれないけど、絶対治るから」
「そんなに……?」
「ま、あっという間だろうな」
「ホン……ト?」
「ああ、この熱病はそういう病気だ。お前は回復が始まれば早いんだから、それまではちょっと我慢な。水、飲めるか?」
 ナルトは苦しそうに目を閉じた。気が進まないようだった。
 が、やがて堪えるように身体を傾けて肘をつき、差し出されたペットボトルを掴む。半分ほど飲み干ほすとボトルをカカシに返し、そのままばったりとシーツに倒れ込んだ。
「よしよし、偉い偉い」
 毛布を掛けてやり、楽な格好に姿勢を直してやる。もぞもぞと寝心地を確かめていたが、やがて動かなくなった。









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