この目に映る一切の情景 9

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 凝然としたまま、固まって、動けない。何かの聞き間違いかと思いたかったが、これは誤魔化しようがなかった。
 心の内を読まれたのかと思った。知らないうちに、この気持ちを言葉にしてしまったのかと。
 いや、違う。カカシの態度や行動や、為した仕草を、ナルトはそう受け取ったのだ。
 そして、その判断に間違いはない。
 そうだ。ナルトはそういう子だ。人の心をまっすぐに胸に入れる。情の機微に敏いから、隠し立ては不可能だ。がさつで察しが悪いような顔をしてとんでもない。感受性が服を着て歩いているようなものだ。
 だから下手をしないように、上手く隠して、我慢していたのではなかったか。あんなに禁欲的に。つい昨日まで……。
(しまった……)
 と今更気付いてみても、もう遅い。大きなため息が出た。
(ナルト、治ったら……オレからも言っていい?)
「大体、お前ばっかり言いっ放しで眠っちゃうなんて、ずるいでしょ」
 寝顔を見詰めながらそう小声で呟いてみる。濁流のように溢れる想いの存在をもう無視出来なかった。押し殺す理由すら忘れかけている。
 熱と息で乾いた唇が痛々しくて、そっと唇を重ねた。
「早く……良くなれよ」
 泣きたくなるほど、幸福だった。



 しかし、昼を過ぎても、ナルトが目を覚ますことはなかった。
 無理に起こす気にはなれなかったので、自然に目を覚ますのを静かに待つ。
 午後になると、体温は若干下がった。三十七度台までは落ちないが、良い兆しなのは間違いない。空気を入れ替え、部屋の温度を調節し、こまめに冷やしながら汗を拭く。
 が、どうも摂取する水の量より、出てくる汗の方が多いのが気になった。
「おーいナルト、頼むから少し起きろ。水だけでも飲め」
 と声を掛けるが、反応は無い。口の中を濡らすだけでも、と思い、スプーンで少しずつ流し込むと、これは上手く行った。
(……よく眠ってるな……)
 昨日のように、悪夢にうなされるのを恐れて眠るのを嫌がる状態よりは、今の方がずっとマシなのかもしれない。回復に最も重要なものは、深い眠りだ。
 時は緩慢に流れた。
 ずっと、ナルトの寝顔を見て、二人きりで、この子のことばかり考えて、好きな本を読んで、一日が過ぎる。休暇がいつもこうだったらいいのに、と考えずにはいられなかった。
 しかし、時計の針が夕刻を指すようになっても、目を覚ます気配はない。再び呼吸が浅く早くなっていく。
 やがて水も飲まなくなる。金属の匙の冷たい感触が嫌なのかと思い、木や樹脂のものに替えてみたが、上手くいかない。
 全く飲まないわけではないのだが、唇から口の中へと滲みてゆく量は、出る汗の量に比べれば微々たるものだ。



 ナルトは長い夢を見ている。
 思い出しているのは、出会ったばかりの何年か前の。一番楽しかったあの頃。きらきらと輝いていた日々。
「先生ってさぁ、独身なの?」
「彼女とか、付き合ってる人とかは、いるんですか?」
 あれは任務中、何かの作業の合間だった。この手の話題を振りたがったのは、当然サクラだろう。子供っぽい興味本位な好奇心丸出しのままに尋ねた。カカシが自分自身についてあまり語りたがらないのを感じ取ってはいたが、こう聞けばどう答えるか、ただ、それが知りたかっただけだ。
 その時のカカシは、教え子たちの無邪気な問いを前にして、珍しくはぐらかさなかった。教える必要はないとも、秘密だとも言わずに、
「んー、いないかなぁ」
「じゃあさ、じゃあさ! 好きな人とかは?」
「今は特に」
「今は?」
「いたり、いなかったり、ま、それなりに。大人は色々難しくてねー」
 それが、その時の彼なりの精一杯の答えだったのだろうと、振り返ってみて思う。
 ただ、あの頃のサクラには、好きな人がいない、という状態は、きっと想像もつかなかったし、理解もし難かっただろう。そしてそれは、ナルトにとっても同じだった。もしかしたら、サスケには理解出来ていたかもしれない。
 ナルトはすぐに人を好きになってしまう。
 自分はかなり惚れっぽい方なのではないか、という自覚が、最近はようやく出てきた。認めてくれる人が増えれば増えるほど、自分を受け入れてくれる周りの人たちに、それこそ手当たり次第に懐いてしまうというか、何と言うか。
 そういう性質なのだ、と言い切ってしまってもそれほど過言ではない、この感じ。
 今のナルトには、たくさんの仲間も、好きな人も、好きだと言ってくれる人もいるし、以前にはとても考えられなかったことだが、可愛がってくれる大人たちや、いわゆる理解者にも恵まれるようになった。
 ただ、親友というポジションに関しては大きく躓いていて、それがナルトの人生に立ち塞がる難関になってしまっている。
 最初は、例えばシカマルとチョウジがいつも何かと自然につるんでいるように一緒にいたい、というだけだったのに、手酷く拒否られ、逢うことも叶わず、今となっては相手がこちらのことを、ちらりとでも思い出すことがあるのかさえ分からない。
 そして、そんなナルトやサクラの苦悩や深い傷を、誰よりも理解してくれているはずのカカシは。
 人を好きになるのは難しいという。



 確かなのは、カカシは一度、全てを失った人間だ、ということだった。
 きっと、家族や仲間や親友や守りたいと思った人も師匠も、全員。
 親友の名が慰霊碑に刻まれていることは本人の口から聞いたけれど、その他のことは一切分からない。断片的に耳に入ってくる里の歴史から、かろうじて憶測してみる程度だ。
 だが、彼が時折滲ませる、薄く尖った氷のような孤独は、たぶん気のせいではない。









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